A級に昇格し、日本ランカーとなった「浜田剛史二世」江口啓二は、試合後、控室
でインタビューを受けることも多くなってきた。そんなとき、よく記者から「その左
腕の刺青は何?誰の顔?」と聞かれることがある。
江口の左腕には、小さな刺青がある。よく見ると、人の顔だ。刺青にときどき見ら
れる般若や鬼の顔ではない。マイク・タイソンはアーサー・アッシュと毛沢東の顔の
刺青をしているが、そんな有名人、歴史上の人物や偉大なボクサーの顔でもない。も
ちろん江口自身の顔でもない。丸顔で、太り気味。けっしてイケ面ではない。
江口に聞くと、小、中、高の同級生で、中学、高校と一緒に相撲部で鍛え、ヤンチャも一緒にやった親友、高橋君の顔だという。無二の親友、家族以上の存在、そんな言葉以上の関係だった高橋君が亡くなったのは、二人が高校を卒業してまだ一ヶ月も経っていないときのことだ。高橋君の運転する乗用車が、大型トラックと正面衝突。即死だった。
友を失って、江口は泣いた。涙が出尽くすまで泣いたという。そして友情の証に、
自分の左腕に友の顔を彫り込むことを決意する。一生消えない刺青を彫ることが、高
橋君に対する最大の友情の証となる、最高の供養になると考えて。
亡くなった友人をモチベーションとして戦うボクサーは多い。関西だけでも、いく
つか話を聞く。
たとえばWBC世界バンタム級チャンピオン長谷川穂積(千里馬神戸)も亡くなっ
た友人がモチベーションのひとつだ。タイトルを奪取したウィラポン戦で、最終ラウンドに向かう長谷川に、山下トレーナーが「福本っちゃんも見とるぞ」と長谷川を鼓舞したという。福本さんとは、長谷川が16の時に一緒に家出するなど、無二の親友で、トラック整備の仕事中に交通事故で亡くなったという。
2004年度西日本新人王で、中日本との対抗戦で僅差で敗れた井野秀作(正拳)は、
本名は前田秀作。一緒にジムの門を叩き、交通事故で亡くなった親友、井野優さんの名
前をリングネームにしている。
姫路木下ジムの「姫路のワンパンチフィニッシャー」中村修も、2002年8月に、マ
ネーの虎で有名になった薩摩宣永(塚原京都)と戦った時には、試合直前に交通事故
死した友人の写真をノーファールカップに貼って戦った。消耗戦となった試合で、最
終回の開始ゴングを聞いた中村が、「頼む、俺の右ストレートにおまえの力を貸して
くれ」とばかりに、カップに右グローブを当てて祈っていた姿が忘れられない。
8月16日、江口は3度目の後楽園のリングに立つ。現在、日本ミドル級2位にランク
される強豪、保住直孝(ヨネクラ)に挑むのだ。我々が名付けた「浜田剛史二世」の
キャッチコピーが、「本物」か、ただの「ハッタリ」かが試される試練の大一番だ。
保住の輝かしいキャリアは、いまさらここで私が説明する必要もないだろう。30戦
25勝(21KO)4敗1引分、元日本ミドル級王者、元東洋太平洋ミドル級王者、敗れたと
はいえ、あの世界チャンピオン、ウィリアム・ジョッピーに最後まで食い下がった
男。アマ時代も17戦全勝(14KO)無敗。アマで無敗というのはある意味驚異的であ
る。それは、インターハイなど出場した全てのトーナメントに優勝しているというこ
とだ。
挑む江口のキャリアは10戦9勝(7KO)1敗。保住のたった1/3のキャリアである。
どう見ても、江口絶対不利の予想だ。万が一、番狂わせが起こるとしたら、それは江
口の「高橋君への友情の証を彫った」左腕が唸りをあげたときだろう。
(2005年7月3日記)
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