第5回 心優しき姫路の戦士たち 「友情の証」 浜田剛史二世 江口啓二 Part2

  A級に昇格し、日本ランカーとなった「浜田剛史二世」江口啓二は、試合後、控室 でインタビューを受けることも多くなってきた。そんなとき、よく記者から「その左 腕の刺青は何?誰の顔?」と聞かれることがある。

   江口の左腕には、小さな刺青がある。よく見ると、人の顔だ。刺青にときどき見ら れる般若や鬼の顔ではない。マイク・タイソンはアーサー・アッシュと毛沢東の顔の 刺青をしているが、そんな有名人、歴史上の人物や偉大なボクサーの顔でもない。も ちろん江口自身の顔でもない。丸顔で、太り気味。けっしてイケ面ではない。  江口に聞くと、小、中、高の同級生で、中学、高校と一緒に相撲部で鍛え、ヤンチャも一緒にやった親友、高橋君の顔だという。無二の親友、家族以上の存在、そんな言葉以上の関係だった高橋君が亡くなったのは、二人が高校を卒業してまだ一ヶ月も経っていないときのことだ。高橋君の運転する乗用車が、大型トラックと正面衝突。即死だった。

   友を失って、江口は泣いた。涙が出尽くすまで泣いたという。そして友情の証に、 自分の左腕に友の顔を彫り込むことを決意する。一生消えない刺青を彫ることが、高 橋君に対する最大の友情の証となる、最高の供養になると考えて。

 亡くなった友人をモチベーションとして戦うボクサーは多い。関西だけでも、いく つか話を聞く。
 たとえばWBC世界バンタム級チャンピオン長谷川穂積(千里馬神戸)も亡くなっ た友人がモチベーションのひとつだ。タイトルを奪取したウィラポン戦で、最終ラウンドに向かう長谷川に、山下トレーナーが「福本っちゃんも見とるぞ」と長谷川を鼓舞したという。福本さんとは、長谷川が16の時に一緒に家出するなど、無二の親友で、トラック整備の仕事中に交通事故で亡くなったという。
 2004年度西日本新人王で、中日本との対抗戦で僅差で敗れた井野秀作(正拳)は、 本名は前田秀作。一緒にジムの門を叩き、交通事故で亡くなった親友、井野優さんの名 前をリングネームにしている。
 姫路木下ジムの「姫路のワンパンチフィニッシャー」中村修も、2002年8月に、マ ネーの虎で有名になった薩摩宣永(塚原京都)と戦った時には、試合直前に交通事故 死した友人の写真をノーファールカップに貼って戦った。消耗戦となった試合で、最 終回の開始ゴングを聞いた中村が、「頼む、俺の右ストレートにおまえの力を貸して くれ」とばかりに、カップに右グローブを当てて祈っていた姿が忘れられない。

  8月16日、江口は3度目の後楽園のリングに立つ。現在、日本ミドル級2位にランク される強豪、保住直孝(ヨネクラ)に挑むのだ。我々が名付けた「浜田剛史二世」の キャッチコピーが、「本物」か、ただの「ハッタリ」かが試される試練の大一番だ。
 保住の輝かしいキャリアは、いまさらここで私が説明する必要もないだろう。30戦 25勝(21KO)4敗1引分、元日本ミドル級王者、元東洋太平洋ミドル級王者、敗れたと はいえ、あの世界チャンピオン、ウィリアム・ジョッピーに最後まで食い下がった 男。アマ時代も17戦全勝(14KO)無敗。アマで無敗というのはある意味驚異的であ る。それは、インターハイなど出場した全てのトーナメントに優勝しているというこ とだ。

 挑む江口のキャリアは10戦9勝(7KO)1敗。保住のたった1/3のキャリアである。 どう見ても、江口絶対不利の予想だ。万が一、番狂わせが起こるとしたら、それは江 口の「高橋君への友情の証を彫った」左腕が唸りをあげたときだろう。
(2005年7月3日記)

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